スタートアップやグローバルの舞台で挑戦を続ける方々のリアルなキャリアストーリーを紹介する本シリーズ。
今回は、電通・Googleを経て、単身母子での海外MBA留学という前例なき挑戦に踏み出し、今もなおグローバルな舞台でキャリアと人生を切り拓く株田萌子さんの歩みに迫ります。
プロフィール
株田萌子(かぶた もえこ)
早稲田大学卒業後、株式会社電通に入社し、主にオリンピック・パラリンピックのグローバルプロジェクトのマネジメント業務を担当。その後、Googleへ転職し、大手企業から150社超のスタートアップまで、多様なクライアントのデジタルマーケティング支援に従事。
Google退職後、INSEAD MBAへ進学し、シンガポールで子育てと両立しながら経営を学ぶ。
学生時代の原体験から、グローバルな広告・デジタルの最前線へ。電通とGoogleで磨いたマーケティングの武器
――まずはこれまでのキャリアの歩みについて伺わせてください。新卒で電通に入社され、その後、Googleへ転職されました。それぞれを選んだ理由と、そこでの役割について教えてください。

大学在学中、模擬裁判に取り組んでいた当時の一コマ
新卒で電通を選んだことには、大学時代の経験が大きく影響しています。私は早稲田大学の法学部で4年間、模擬裁判に従事していました。模擬裁判というのは法律を使ったディベート大会のようなもので、毎年の世界大会では、世界中のロースクール生がウィーンに集い、法律を使って熱い弁論をします。チームで切磋琢磨しながら強い論理を作るのがとても楽しくて、私にとっての青春だったんですね。
仕事でも似たようなことができないかと考えた時に、チームワークが必要であること、ロジックと感情を使ったプレゼンテーションができること、そしてグローバルで活躍するという3つの条件を満たす電通がいいなと思いました。
電通での仕事は、思い描いた通り、チームワークを使い、お客様のお題に対してロジックと感情を組み合わせたピッチをして、お客様の心を動かした代理店が勝つというものでした。在籍中はグローバルのオリンピック・パラリンピックのプロジェクトに携わり、三拍子揃った充実した時間を過ごすことができました。
その後のGoogleへの転職は、デジタル広告の最前線を学びたいというのが大きな動機でした。電通ではプロジェクトマネジメントの基礎を学び、多業種の人たちと協業する術を学びましたが、次に自分が得たい武器はデジタル兼プランニングだったので、Googleはそのためにいい場でした。
――Googleでは大手企業のデジタルマーケティングを推進されていたのですよね。

Googleではデジタルマーケティング領域で活躍
そうですね。上場企業や外資系の大手企業から、資金調達したばかりのスタートアップまで、150社以上のお手伝いをさせていただきました。
大手企業からの「マーケットシェアがある商品の現状維持のために、デジタルをどう使えばいいか」という相談もあれば、スタートアップから「この商品が当たらなかったらビジネスが頓挫してしまいます。絶対当ててください」というサドンデスのようなご相談を承ったこともありました。
あらゆるお題に対して適切なご対応とソリューションをスピーディに提供することを続けてきた中で、お客様の期待値や最終的なコミットメント、提案の仕方やスピードなどの柔軟性が身につけられたと思います。電通でもGoogleでもいろんな部署を経験させていただきましたが、マーケティングコンサルティングが一貫して強みとして磨いてきたスキルですね。
前例なき挑戦へ。「行けるわけない」を覆した、1年半の情報収集
――MBA留学を決意された背景を教えてください。何がきっかけで「今だ」と思われたのでしょうか?
元々海外留学は学生の頃からの夢でした。留学経験のないまま電通でもGoogleでも海外に関わる仕事をしていたので、、多少のコンプレックスはあったと思います。海外留学した人がキラキラして見えた部分もあり、論理的に考えたというよりは、好奇心に導かれて「私も経験してみたい」という純粋な気持ちがありました。
社会人になってから「いつか留学しよう」と漠然と思っていましたが、「今、行こう」と思ったきっかけは子供でした。子供が生まれる前は自分の時間が無限に感じられましたが、子供が生まれた後は物理的に時間が少なくなりますし、子供の成長の速さを見ると、自分の時間がどんどん過ぎていっているのが目に見えてくるんですよね。その時に、自分はこのまま止まっていていいのだろうかという焦りもありました。
また子供が小学校に入るタイミングや中学校に入るタイミングを考えると、子供の人生のマイルストーンに応じて自分の人生もタイミングを合わせていかないといけません。留学するならなるべく早く行かないといけないと気づいて、本格的に調べ始めたのがきっかけです。
――当時3歳のお嬢様を連れて、シンガポールへ単身でMBA留学をするという大きな決断をされました。そこにはどのような壁があり、どう乗り越えられたのでしょうか。
最初の大きな壁は自分自身でした。子供が生まれてから海外留学に行くというのを一番信じられなかったのは、最初は自分だったんです。諦めかけていたところ、勇気を出して夫に相談したら、「世界中にこんなにMBAがあって、一校も単身ママの留学を受け入れないわけないでしょう」と冷静に言ってくれました。それで目が覚めたというか、色々調べる前に自分で諦める必要はないと思いました。
そこで知り合いのINSEAD卒業生と話したら、「行けるんじゃない」という反応が返ってきました。無理だと言われるかと思っていたのですが、意外と世界は広く、いろんな考え方があると気づきました。そのブレイクスルーから、積極的に情報を収集するようになりました。
次の壁は、情報が圧倒的にないことでした。子供を連れて単身で海外MBA留学したケースは意外となく、特にパートナーを置いていくパターンがなかったんです。旦那さんと一緒にMBAに行ったケースや、現地のご家族のサポートを受けて留学されたママなど、類似するケースの様々な方々とお話をさせていただきながら、自分の実現イメージを収集していきました。
前例はありませんでしたが、海外留学を果たしたママたちの話と自分の調査を踏まえて現実的に行けそうだったのが、シンガポールと香港とイギリスでした。ただ当時、イギリスでは帯同ビザの認可が降りず、香港だと中国語で子供を守る難易度が高いと考え、唯一の現実的な選択肢はシンガポールのINSEADという結論に至りました。
自分の状況と外部調査とシンガポールの現地情報を全て繋ぎ合わせて計画を立てたので、情報を集めきるのには1年半と非常に時間がかかりました。一人が全ての答えを持っているケースがとても少なかったので、いろんな方の情報を組み合わせて実行に移す手法を見つけていきました。
3歳の娘と挑んだ「人生最高難易度」のMBA留学。そこで手にした、世界中のストーリーへのアクセス
――実際の留学生活はどのようなものでしたか?
想像の10倍ぐらい大変でした(笑)。シンガポールで単身で子育てしながらMBAを取り、しかも就職活動もしながら生活するのは、人生最高難易度のプロジェクトマネジメントでした。

当時3歳の娘さんを連れ、単身でシンガポールにてMBA留学
住み込みのヘルパーをシンガポールで雇っていましたが、娘にとっては誰も知り合いのいない中、頼れる相手は私だけです。子供のケアをしながら、日中はフルで授業、その後は深夜まで課題、さらにネットワーキングイベントへの参加や就職活動もして、かつ家族の時間も大事にするという、自分にとって何を捨てて何を取るべきかという優先順位の自問自答を常に繰り返す日々でした。
INSEADは出席単位が厳しく、プログラムによっては数回欠席すると単位を落とすものもありました。子供の病気や保育園のイベントでも、授業を優先すべきか子供を優先すべきかという選択を迫られます。単位を落とすと卒業できないけれど、子供も一人だと寂しい思いをするだろうという、毎日究極の選択をしなければいけないわけですね。
絶対に守りたいものは何かという判断を日々して、捨てるものはありつつも、確実に得るものは取りに行く。自分の中で自問自答を繰り返すことが、結果的に自分を強くしたと思います。

同級生に囲まれて開催した、娘さんの誕生日会のひととき
――大変さの一方で、得られたものも大きかったのではないかと思います。
はい、大変とは言いますが、卒業した今はやっぱり行って良かったと心から思います。
MBAで得られるものとして、よくネットワーキングが挙げられますが、私は図書館のアクセスのようなイメージをしています。例えば東大の図書館には東大生しか入れないように、INSEADにはいろんな人生という本を持っている方々がいて、その人生のストーリーを見る権利を得られたことが、INSEADで得た最も大きい価値だと感じています。世界図書館へのアクセス権を得たような印象です。
INSEADにはいろんなストーリーがありました。貧しい母国のお金のインフラを整えるというミッションを掲げて社会を変えようとしている起業家や、国が戦争状態で帰れないから生き残るために学を得てどこの国でも働けるようにしたいというお母様、中国の信じられないような富裕層の方など、本当にいろんな人生がありました。その人たちの話を聞いて、自分がどういう立ち位置のどういう人間なのかを相対的に見ることができるようになって、自分とは何者なのかがより強固に把握できるようになりました。
INSEAD以外にも、シンガポールの元Googleの同僚や友人、前職でお世話になった方、現地で働かれているパパママ、日本人の生活を支えるエージェントの方々など、力強く生きる方々とも密にお話しさせていただいて、自分も頑張る力をもらいました。INSEADの教授とも、まだ連絡を取っています。
困った時に手を伸ばせる相手がどれだけいるか、自分の人生を変える良書がどれだけあるかが人生の質を決めると思いますし、その蔵書がINSEADで一気に増えたと感じています。
――INSEADの教授との繋がりは、卒業後も続いているのですね。
私がINSEADに行った強い理由の1つが、フランスのジェニファー・ペトリリエリ教授です。彼女は『デュアルキャリア・カップル』という、私の人生の大きなターニングポイントとなった本の著者でもあります。
娘が生まれて、MBAを諦めないといけないかもしれないと悩んでいた時に、Googleのメンターの方に薦められてこの本を読んで、目が開けました。夫婦の対話を通じて自己実現ができるという内容で、対話を続けるカップルは、キャリア的にも家庭的にも長く幸せに暮らしているケースが多いという学術的な本です。
夫婦ともにキャリアを諦めないで済むことができることに衝撃を受けて、教授に会いたいと思ったのも、INSEADを選んだ理由の1つです。INSEADではあらゆる分野の教授がいて、自分のパッションに共感してくれる方と繋がると、質問にオープンに答えてくれる関係が築ける良い環境でした。

INSEADで得たかけがえのない繋がり
――働く女性たちが世界中からINSEADに集まる中で、キャリアと家庭の両立についてどのような気づきがありましたか?
シンガポールで働く女性たちを見て衝撃を受けました。シンガポールでは住み込みのヘルパーを雇うのが一般的で、子供をヘルパーに預けて定期的に夫婦でデートに行くなど、2人の時間を重要視しているご夫婦が多いんです。
ヘルパーが基本的に家事をやってくれるので、「ママだから」という理由で早く帰るようなことが、良い意味でも悪い意味でもありません。女性も男性ものびのびと好きなだけ働いて、好きな時に育児をしています。育児をどれだけすべきかという価値観が家族によって全然違いますし、それで子供が不幸かというとそうではなくて、多様なのが当たり前という社会でした。

ヘルパーの力を借りながら、育児・学業・キャリアを両立
MBAに行く前は、「母親だから子供を連れて行かなければいけない」という責任感も多少はありました。ですが、INSEADのママたちは子供を母国に置いて単身で来ているケースの方がメジャーで、むしろ私の状況に「子供を連れてくるなんてびっくり」という反応でした。10ヶ月だけママがMBAに行って、その間子供はパパやヘルパーさんに見てもらう。「それでいいじゃん」という、本当に軽やかな家族観なんですよね。
日本の場合、ママがワンオペでいかに効率的にできるかという方面に最適化がかかっていますが、海外だといかに他者を頼っていくかというマインドが強いと思います。どちらが良いということではないですが、もう少し軽やかに、色んな家族の形があって、夫婦の形があってもいいのではないかとシンガポールにいて思いましたね。
「勝つまでやる」信念。ビジネスインパクトへのこだわりと、次世代のママへ繋ぐバトン
――現在は、大手外資系企業にて、より経営に近い領域に関わられています。MBAを経てビジネスの現場に戻った今、以前と比べて仕事への向き合い方はどう変わりましたか?
MBAに行く前は、目の前の面白そうなもの、楽しそうなものを吸収して、満腹になったら次の新しいことにチャレンジするという、目の前のチャンスを掴みにいく仕事の仕方でした。MBAに行ってからは一歩引いて、自分の信念のために仕事をするようになりました。
私の今の仕事における信念は、「ビジネスインパクトにコミットするマーケティングをする」ことです。マーケティングは皆さんのマインドシェアを奪いにいく勝負のようなもので、相手の次の手を予測して、どんな最善手をどのタイミングで打つかを常に考えて実行する領域です。勝負である以上、必ず勝つとは限りませんが、私は絶対に結果にこだわり、そのための最善を尽くしたいと考えています。結果をしっかりと見つめて、それに対するカウンターアクションを勝つまでやることが、私のポリシーです。その信念を満たすものに関しては、自分のエネルギーを全て注いで貢献したいと思いますし、そのための武器を今もなお研鑽しています。今まではボトムアップでキャリアを築くスタイルでしたが、今はトップダウンで、目的ありきの仕事という仕事観に変わりました。
仕事の見え方に関しては、シンガポールでの単身母子MBA留学が人生史上最高難易度のプロジェクトマネジメントだったので、日本で起こるある程度のことではもうあまり驚かなくなりました(笑)。どんとこいという度胸はついたと思います。
――留学・転職・挑戦を前に、家庭を優先して踏み出せないという女性はとても多いです。そんな方々に、もし明日から小さくても一歩を踏み出すとしたら、どんなアドバイスを贈りますか?
まず、家庭とキャリアのバランスを維持するのは、個人の努力というよりは社会構造上、非常に難しいチャレンジだという認識を持っています。子供が生まれてから女性に育児や家事の皺寄せがいって収入が下がるのは世界共通の事象で、社会のインセンティブ設計によって、どうしても家族かキャリアの選択をせざるを得ない状況があるのではないかと思っています。
そういう中で挑戦をするママたちの勇気は素晴らしいものですし、人一倍称賛に値すると思っています。一方で、仕組み上難しい中でやりたいことをやり切るのは一人ではできないので、とにかくたくさんの方とお話をして、たくさんの協力者を得るのが、実務的にもメンタル的にも非常に重要です。
いろんな方と話すことで、自分の凝り固まっていた考え方がほぐれて、ブレイクスルーを見つけたり、自分が思っていた常識が実は非常識だったことに気づかされたりします。例えば私の中の「ママは海外MBAに行けない」という常識は、海外においては実は常識ではないということは、いろんな人と話して気づいたことでした。
私は今までの仕事を通じて、素晴らしいメンターの方に恵まれましたが、その中でも、Googleのネットワーキングのプロの方に、人と話すことの重要性を教えてもらいました。当時、私は人と話すのがあまり得意ではなかったので、自分を矯正するために、毎日一人初対面の人と話すというチャレンジを始めました。エレベーターやコーヒーを待つ間に、とりあえず毎日話し続けていたら、MBA留学の相談ができる人や応援してくれる人が見つかり、Googleのシンガポールのコミュニティ経由でローカル事情を聞く機会にも恵まれました。人と話すことが少しずつ心の糧になっていって、それが溢れた瞬間に人生が変わる経験をしたんです。
小さくても一歩踏み出すとしたら、とにかくたくさんの人と話すことを日課にすること、これだけで人生は変わると思います。続ければ応援してくれる人はいつか見つかります。そういう人をたくさん知ることで、自分の1歩が2歩になって3歩になって、いつの間にか気づいたら100歩になっていたという、そういうプロセスが待っていると思います。
――活躍を続ける株田さんですが、最近新たに立ち上げられたプラットフォームについて、その背景や立ち上げに込めた思いを教えてください。
私の個人の信念として、「世界中のママたちが諦めなくていい世界を作る」ということがあります。ママというだけで社会的な制約を感じてしまったり、若かりし頃の夢を閉じていったりする人がいる現実を目の当たりにしています。私もママになってからMBAを諦めかけましたが、その諦めかけた炎を再燃させてくれたのは、友人であり、夫でした。
世界中のママたちのために、「できるよ」「大丈夫だよ」と言ってくれる同胞たちを集め、情報を整理することで、諦める必要はないと勇気を出せるよう支援したいという思いから、海外MBAのプラットフォームを立ち上げました。
現在、上海とパリのINSEADのママたちと一緒に、世界中のママたちが勇気と安心感と納得感を持って海外MBAに挑戦できるグローバルコミュニティを作っています。ワークショップやカウンセリングの場も用意し、励まし合えるような温かいプラットフォームをグローバル規模で作ることで、一人一人の挑戦を支えていきたいと思っています。

